ところが、1950年代、’60年代といえば、コンピュータやワークステーションと対話するなどというアイディアは、突拍子もないものとされ、カリフォルニア大学バークレー校における博士課程時代には眉をひそめられ、さらに、面接を受けて合格したHPからも、コンピュータ事業に参入する予定はないと宣言され、結局、合格話を辞退している。また、スタンフォード大学にも手紙を書き、コンピュータコースの開設を売り込んでいるが、丁寧に断られている。唯一、コンピュータに関われそうだったのが、当時のSRIであり、将来のコンピュータについてのビジョンについては口に出さずに合格し、時が来るのを待つことになる。
この部分読んで思ったことは、今現在も似たようなことがあるんでしょうね。